出だし途中から
昭和44年09月28日 特別奉修委員
(途中から)
(しんぐら?)の、(下りに抜ける前に?)さか、さか、さきさかばんないというのがありますね。三枚目の、いわゆる、いわゆるちゃり役ですよね。あの(さきさかばんない?)が、あのう花道で、あの台詞を言う事が、言いますね。擦れた擦れた。何がそんなに擦れた。陣笠忘れた。という、調子になってその台詞を言う所ですけれども、そのう擦れた擦れたということがいけないですね。
所謂信心も擦れてくるといけません。人間がやすれとると言うでしょうが。段々その事に慣れ、慣れっ子になりますとね擦れてくるんですよ。ですから本当にあのう何事でも同じけど、特に信心はそのうぶな心と言うかね。うぶな心が信心の初めのころを忘れておらねばおかげになるとも仰るように、その信心が擦れてくる。そりゃあもう一通りの事が分かりいうならば、まいうなら和尚の様な事も言える様になってくる。
信心が擦れてくるからです。ね、段々擦れてくる。そうすっとですね、それこそ一番肝心な物を忘れたになるでしょう。明日はいよいよ教祖生誕祭ですけれども、本当に金光様の御信心を頂いてで、頂いておかげを受けてると思うならですよね、こや教祖様の生誕あって私共があるとですよね本当は。ですからいかにどの様な心使いをもって、明日の生誕祭の、教祖様がお喜び頂ける様な信心にならせて頂こうか。
お参りさせていただこうかという事が、非常にこう擦れた擦れたになって居る様な感じがするですね。先日からもあの、秋永先生がね、何か皆さんに申して居りました様に、決してあの教祖生誕祭は、あのう敬親会じゃあありませんと言う。敬親会の方たちに浪花節を聞いて貰う、それは教祖の神様が、ね、年寄りを大切にせよとこう仰るから、御生誕祭に何が一番教祖様がお喜びになるかというと。
親の言うことを聞くことが親の喜びであるならば、その中のひとつである、年寄りを大事にせよせめてお道の信、信心に繋がる方達だけなんかをお呼びして、ね、お食事の一つもして貰おう、そして演芸の奉納でもして、まあ一日面白く過ごさせて貰おうというのが、あのう演芸奉納であったし、また生誕祭のそれが、願いでもあったわけなんですけれども、どうも最近はですね。
本当にあの年寄りの方達年寄りに何か、ついて来る人たちだけぐらいなとで、すと勿論当たった方達は、やっぱ前の日から色々準備があったりなんか致しますけれども、それがややもするとその、擦れた擦れたになってしまってですね。今年なんかは、とにかくあのう、随分出るらしいですけれども、どこどこにどこの地区に誰さんが何歳で何十人おられる、何人おられるという報告をしなならんとに。
昨日までまだ誰もきとらんちゅう状態じゃった。まあ今日ども来ておるだろうと思いますけれどもですね、何かこうこれは本当に相済まん事だなと。そげん思わせて頂いておったんですけど、ありゃあいつも生誕祭には、折り詰めと何かお菓子か何かあげよりゃしなかったでしょう。じゃったですね確か。うんだから私はその事を、まあ頂きましてですね擦れた擦れた陣笠忘れたとこういう。
こりゃ本当に私が申します様に、信心が段々こう擦れてきた、こりゃまあ本当に私の信心の不行届きからだと思うんですけれど、私自身がこう忘れ取った様な気がします。あのう折り詰めだけの事で、そのお菓子の事を忘れてしまっておったですね、去年がお饅頭じゃった、今年もお饅頭でもどうだろうか。去年のお饅頭は評判が良かったか知らん、悪かったか、どうだったかしら。何なら又あの別なものでも、今日改めて準備しなきゃならんだろうと今御祈念中に思わせて頂いたんですけどね。
まあ私はじめその様な事ですから、皆さんもそうだと思うんですけれども、本当に教祖生誕あって、例えばこの金光教が生まれた。金光教があって私共が今日の助かりがあるという事を思うたら、明日は何ちゃ本当に意義のあるの、意味合いにおいて教祖様にもお喜び頂ける。お祭りにならなきゃならん、また御用にならなきゃならんと思うんですけれどもね。皆さんはもう時間にお弁当作りなんかで。
御用頂かれる方ばっかりですけれども、やっぱそういうものが中心に欠けておると、やっぱ擦れた擦れたとこう今言う頂く様な所をですね、もう一遍こう考えてみなければ成らん様に思いますですね。どうぞ。この頃御理解の中にちょいちょいこのお芝居の、あれを又頂くんですけれども。この頃福岡にやらせていただいた時にはもうそりゃそりゃとってもいいお芝居でしたけれども、頭に残らなかったんですよね。全然。所がこの頃久留米に行った時に、やっぱり良いお芝居でしたが。
そん時のがやっぱ残ってるんですね。まだ本当にスッキリしてないという事。その証拠にはね、お芝居の(笑)で御理解頂く、今のなんか私が頂きます、もう本当に目の前で見るようにねあの花道のあの、ところを頂くんですよ。おかしいごたるですね。(?)(笑)(さきさかばんない?)ならこっちの方が擦れた擦れたと、肝心なものを忘れ(とったって?)しまってるわけですね。
どうぞ。